2009年6月17日水曜日

新入生歓迎コンパ -> 顔合わせ会,そして「つながり」に関する考察

最近,私が担当する学類(普通の大学の学科に相当)では,昔はごく当然だった「新入生歓迎コンパ」というものはなくなり,「新入生顔合わせ会」になっているらしい.新入生同士が顔を合わせるのが主目的で,それに10数名の新入生歓迎委員(先輩)が加わる.先輩が新入生を「お出迎え」という風習はなくなってしまったようだ.

昔(歳のせいか,このセリフが最近は多い)の新入生歓迎コンパは,学類生+院生のほぼ全員が参加する新歓コンパ,同じクラス番号(といっても2クラスしかない)の学生が参加する「縦割り」新歓コンパ,そして新入生だけの「横割り」新歓コンパ.これ以外に,サークル,県人会,高校OBによる新歓コンパと,目白押しであった.

そして,考察.

現代は,IT (あるいはICT)によって,人々は極めて「つながり易く」なった.実社会では知らない人とも簡単につながってしまう.むしろ,つながり易過ぎるので,気をつけねばならない.子供の頃からだ.

昔,人々は「つながり」に飢えていた.「飢えていた」とは現代からの相対的な表現であり,当時はそんな意識はなかった.開学間もない約30年前の筑波大の環境は大変であった.当時の筑波は「陸の孤島」などと揶揄されており,また,筑波大には全国から学生が集まる.地元出身者は少数であった.新入生の学生宿舎入居率は90%以上.新入生の宿舎の部屋に電話はなく,携帯電話やインターネットもない.筑波大の当時の環境では,必死に,リアルにつながらなければならなかった.親元を離れた,個室なので,つながりを維持できないと,生命の危険すらあった(これは事実).

今は,宿舎の部屋に電話も,インターネットもある.おそらくほぼ全員が携帯電話を持っており,日々バンバン通信している.そういう意味ではつながっている.「つながり」に飢えているとは言えない.しかし,現代の若者も,昔とは変化した意味で,つながりに飢えているように感じる.「リアルなつながり」を渇望しているのではないか.

最後に.あまり知られていないと思われるが,当時の筑波大の学生や宿舎の環境をモチーフとした小説が,芥川賞受賞小説となっている.松村栄子氏の「至高聖所(アバトーン)」である.

Amazonの「商品の説明」からの引用:
彼女の悲しみを、分かちあうことはできない。私の悲しみも理解されないだろう。でも、寄り添わずにはいられない―。無機質な新構想大学のキャンパスで出会ったエキセントリックなルームメイト。互いの孤独に気付くとき、何かが変わる予感がした。

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